埼玉県の中世城郭 

 

毛呂山町 

 ◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
 ◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
 この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
 (注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
 ◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
  パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。



毛呂山城(館) (旧図) 竜ヶ谷城(毛呂山城)

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旧図    1984/10/14

 
 【お断り】本図は管理人の若かりし頃描いたものであり、かなり難があると思われますが、ご参考に。
        今後機会をみて改訂したいと思います。


      
                         
【注意書き】
 管理人は、かつて東京、埼玉に在住していたことがあり、(実は生まれも育ちも東京都)過去の反省もかねて、若かりし頃に描いた縄張り図を公開する。 
 大変お恥ずかしい物ばかりである。
 読者の方はあまり信用しないで、参考程度にご笑覧願いたい。


竜ヶ谷城(毛呂山城)
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 ゴルフ城(場)のド真ん中に 2023/03/01更新
 【解説】
 


◆Google Mapより

竜ヶ谷城はオリムピックナショナルゴルフ場のど真ん中にある。
こういう所は、見学中にゴルフボールが飛んでこないかとヒヤヒヤしてしまう。
  
非常に心配だが仕方がない。
覚悟を決めて城見学だ。

毛呂山市街地から山間部に入り、雷電神社の道案内に沿って町道を進む。
すると、ゴルフ場の境界にゲートがある。

そこには、このような上写真のような看板が・・・

”ゲートを自分で開け閉めし、ゴルフ場を横切れ” というのだ。
なんか、嫌な感じ・・・・

仕方がないのでゲートから、ゴルフ場を横切り、さらに山を登って主郭に到着。
早速調査を始める。


 





城跡は、毛呂山町の雷電神社敷地内となっている
神社の社殿裏を土塁としている縄張り図が多いが、
これは、神社造成時に土を掻きとった跡が、土塁に見えているだけに思える。

本当に土塁だったのだろうか・・・・???


 



主郭下にも広い曲輪がある。




 




ここには説明版があり、
ありがたいことに縄張り図付きである






ここから眺める景色は最高だ
正面の森は伊波比神社だろう

初日の出を拝みに来る人も多いだろう。

 



今度は主郭を下り、西部の調査だ。
社務所が建つこのエリアは、
かなり改変されてしまっているようだ。


 
◆堀切を上から

 
尾根続きには、長い堀切がある。
・・・横堀と言ってもいいだろう。
堀は浅い。
写真は上から堀を眺めたところだが、分かり辛い。


 
◆堀切を横から


堀切(横堀)を横から見る。


 
◆竪堀の写真



実は、この城は随所に竪堀を配している。
左写真は主郭南面下の竪堀だが、伝わらないだろうな。




 

現地で描いた縄張り図である。
破壊されている部分が多いが、曲輪取りも大きく、結構良い城なのであった。

ただ、ゴルフ場になっていなければなあ~
そんなことを思いながら下山した

なお、この城の歴史は不確かなようである。
現地の看板には新編武蔵風土記稿の一文が掲載されているが、これは江戸時代のものであり、信ぴょう性はイマイチかな。


 
【既存縄張り図の評価⠀】
ここの縄張り図は人によって、解釈に大きな差がある。
竪堀をどう捉えるのか?

遺構がかなり破壊されているので、どこまでを曲輪とするか・・・で、図に大きな差が生まれている。