埼玉県の中世城郭 



 

寄居町3 

 ◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
 ◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらないまたは城とするかどうか判断の迷う物を示す。
 この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
 (注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
 ◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
  パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。



 花園城  まぼろし城?


花園城   電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください


 ◆マウスを乗せると赤く表れるのは、木橋の想定位置です。(スマホの方は触るとページ先頭に飛んでしまいますが、ご容赦ください)


本図面の段々曲輪は、近代のみかん畑の跡でしょう。
寄居はみかんの産地。
周囲にも似たような畑がいっぱいあります。 

渡邉 様

お世話になっております。
寄居町役場農林課の●●と申します。

お問い合わせいただいた花園城跡地山腹にある段々ですが、ご推察のとおり以前みかんの栽培をしていたようです。

個人農家さんが栽培していたもので町で把握はしておらず、上記の内容も付近の農業に詳しい方にお話を伺いました。

ご確認よろしくお願いいたします。

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 寄居町 農林課 
 〒369-1292 寄居町大字寄居1180-1

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段々畑航空雨写真(国土地理院より)

◆花園城の段々みかん畑。 南面だけに限定され、部分的にあるのも城の遺構としては不自然

◆花園御嶽城付近 南面の一部のみ、上から下まで展開している 城の防御と関係ないところにも段々がある。

◆桜沢砦?付近 南面のみ段々 周辺には、似たような段々畑がいっぱいある。





 まとめ 工事中です
 
主郭  
     
主郭である。
花園城の碑である。

碑は立派なものであるが、山自体の整備はまったく行われていない。
ただ、お城フリークとしては、このような状態の方が萌える。
民家や訪れた人の目を気にせず、城跡調査に望めるからだ。

    

 うおーっつ!
なんと、

壁が直角である。
      傍らには、こんな石垣もある。

小倉城の石垣と似ている。
緑泥片岩の横積みの石垣だ。
      主郭から登ってきた反対側の斜面を覗くと、
くっきりと堀切が見える。
ここの切岸も直角である。
     誰がこの岩盤を削ったのだろうか?
どうみても、ものすごい土木量である。
この堀切を作るには岩を削ることになるのだ。

いくら割れやすい岩だと言ったって、
土を掘るのとはわけが違う。
     主郭には大きな土塁を伴った虎口がある。
      主郭周りには石垣が巡っていたようだ。
部分部分に残っている。
ここは縦に石が積まれている珍しい場所。
      主郭南の虎口土塁の石垣。
ここは緑泥片岩を横積みしており、周辺の城と積み方が酷似する。
 
 
 
 



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以下は浄書に至るまでのプロセスページとなります。お暇ならどうぞ。◆ 

↓目次です。触るとその回にジャンプします

 第1回 第2回   第3回 第4回  第5回  第6回  第7回  第8回  第9回  第10回   浄書開始 第11回  浄書に色つけ開始   



  浄書に色付け開始 2020/04/18   


 

コロナで自粛のこのご時世。
城にも行けず、やることないから、浄書に色つけを始めました

こんな状態いつまで続くのだろう。











                                           (つづく)



  第11回  とんでもないもの補足調査 2020/04/04   

 
第10回以降、浄書を始めたが、どーしても記憶に曖昧なところや
『もう一度調べなきゃな』というところが出てきた。


コロナウイルスで不要不急の外出は控えるようにと騒がれる中、
やはり、どうしても気になる。

やっぱり出かけよう。。。。不要不急ではない、
『これは、
必要至急の外出なのだ!



 







・・・ということで、いつもの通り、善導寺


桜が満開の季節になったが、訪れる人は全くいない。














 こんなに綺麗なのになぁ~。
 本当にもったいない。


   





これまた、いつものように善導寺から花園城に向かう





















 

諏訪神社に到着。

ここでも桜が迎えてくれた



















 

 
     ※補足調査解説用縄張り図
                   




さて今日のお題は、主郭南方の山腹。
ここに石垣を描いている人が居るので、それを確かめに来たのだ。

果たしてその場所に石垣はあった。
平坦地を伴っていないので、おそらく往時からのものであろう。
こんなところに石垣を作る意味がよくわからないが、おそらく、上方からの城道に続く施設と思われる。

ここから30mほど南斜面を下ると、10日目で描き込んだ ”シュロの木の人家跡” に出る。
これで、この山腹は繋がった。

        


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山を上がり、再び主郭西の段々曲輪である。

見栄えは悪いが、段々曲輪も少しは写真を撮っておこうと思ったのである。



これは上方の段々曲輪の四角い張り出し。
写真に写りこんでいないが、ここにも石垣が回っている。
古いものなのか、新しいものなのか区別がつかない。

これが、この周辺の段は全部畑だ!と言われる所以である。



やっぱり、ここ段々の写真は面白くないので、これ一枚でやめた。




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さて、ここから再び主郭方向に戻る。


すると、前回は気付かなかったのだが、岩に水が染み出ている。
こんな山の上に水の手?だろうか。
結構出ているのでビックリした。














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管理人はこのあと、地元の肩に教わった通称 『幻城』 の調査に向かう。

これは、その途中で撮影した四の郭内部のゆるい傾斜地。
なんで整地していないのであろう?
いつも思って、通過する。

 


                                  (つづく?)



  浄書開始 2020/03/28    


 

コロナだ!雪だ!と城にも行けず、やることないから、

仕方ないので浄書を始めました。


皮肉なことですが、いままでやろうやろうと思いながら、
なかなか手が出なかったので、良い機会です。









                                           (つづく?)



 第10回 ほんとに、とんでもないもの 2020/03/15    

 花園城も第10回目の訪城となった。
 今日で大体終わる予定である。

 お題は言わずもがな、段々曲輪である。
 前回の続きである。




家を出た時にビックリ!

そう、寄居方面の山が一面真っ白になっている。
今日は天気が非常に良いものの、昨日は埼玉県下は、雨や雪であった。



      どうしよう・・・?








 段々曲輪が、ゲキ藪なのは承知のことる。
 藪の中の行軍は、雨露を大量に浴びる。
 雨露に濡れれば、自慢の ”フレックス縄張り図面” はイチコロだ。

      どうしよう・・・・?

   『行くの辞めようかなぁ、でも行こうかなぁ・・・・。』

 実は、こんな事で朝6時から小一時間悩んでいた。



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・・・・・・・・でも、結局、


    


 いつものように、竪堀① から侵入。
 予測していた通り、昨日までの雪、雨で、行軍すると、ものすごい勢いで滴が垂れる。

 ”フレックス縄張り図面” は当然中止。
 今までに描いた大きな縄張り図をスケッチブックに挟み、調査を開始することにした。
 こうすれば、書き込む時だけスケッチブックを開ければよいから、図面の濡れ被害は少ないだろう。


 ここでは、価値も無いので写真を撮ってないが、段々調査の途中、斜めに切れ込む段々を発見。
 これはおそらく、1960年の航空写真に映り込んでいた道だろう。(下写真)
               



さらにしばらく雨露と奮闘していると、段々の中にこんな物が。

   
   リン(燐)入りのマグネシウム(苦土)・・と書いてある。
   
肥料の袋だ!!

今はゲキ藪で想像もつかないが、明らかに、ここが畑として利用されていた証拠である。
このあたりは段の幅も広がっているし、だんだん段差がはっきりしなくなってきた。

ここまでくると、ちょっと城と結びつけるには無理が多いのでは?

・・・・と思った瞬間、主郭南斜面の調査は、ここでヤメにした。






















改めてスケッチブックを見ると、雨露でヘロヘロになりかけている。

昔、栃木県矢板市の『滝原台大溝』 という城郭関連遺構で、
雨の中、無理くり調査を行い、新品のスケッチブックを一冊ダメにしたことがある。

スケッチブック全体に水が染み込み、全体がヘロヘロになってしまう現象だ。

これ以上の強制調査は、危険だ。









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  スケッチブックを少し乾かして、今度は竪堀①より東の斜面、
 竪堀②
方向の調査に取り掛かる。
 ここには主郭南の様な細かな段はない。
 行軍すると、明らかに石垣が目に入る。
 四角く囲んだ物や、スロープ状のものもある。
 なぜか ”シュロの木” も集中的に生えている。

 そもそも シュロ が日本に入ってきたのは、近代と聞いている。
 昭和(30年代)に入ってからは、日本がいわゆる南国(ハワイ等)に憧れるブームとなり、
 観葉植物として民家の庭に多く植えられるようになったそうだ。
 よって、最近の家に植わっている所はなく、
 ちょっと古めの家屋に植わっていることが多いそうである。


 このことから管理人は、当地は近代の人家址とみた。

 
城の遺構ではなさそうだ。
        




 たしかに残存遺構の石垣は、城としての機能が希薄。
 遺構とは考えづらいと思う。


 先ほどの畑の段の斜めの道が、何故かこの人家址の方向に向かっている。
 畑はここの人の家の物だったのだろうか?

 まあ、こんなもんでいいでしょ!この辺は。




苦労して10日も足を運んだ花園城。
ふりかえって見れば去年の11月からこの城に通い詰始めた。
今日で、ほぼほぼ満足に調査は完了したと思っている。

これからは浄書に入るが、完成はいったい、いつになるか?
まだまだ花園城は、わたしの中では終わっていない。   
                        











                                       
 (つづく)
   



 第9回 ほんとに、とんでもないもの 2020/03/06
 
 

 調査も9日目となった。
 いい加減にしたいところであるが、終わらないんだから仕方ない。

 きょうは主郭南下、気が全く進まない段々の調査だ。
 第7回の中城研の方々との合同調査で、 『城郭遺構として無視できないもの』 とした場所だ。
 
                
 
 花園城は二~四郭下は、結構、遺構がハッキリしている。
 しかし、この主郭下だけは、何故か段々の連続となっている。
 他では見られる 『武者隠し』 も、ここには無い。
 よって、どこまでを城の遺構として捉えるのか?、縄張り調査が人の解釈によってバラバラになる部分である。

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さて、きょうは追跡戦闘車2号で出動。
言わずと知れた善導寺にバイクを停めさせてもらう。

しかし、いい天気だ。
でも、風が強い。
いきなり、花粉症発症!
おぉ、目が。。。。
鼻も出てくる。。。




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 早速、主郭下南の段々曲輪に紛れ込む。

 
 

言わずもがな、ここは近代に畑となっていた場所。
放ったらかしの畑の荒廃地に密集する小竹の嵐となっている。
歩けば、小竹の枯葉粉が舞い、喉、鼻を襲う。
あっという間に喉が痛くなり、声も出づらくなってきた。
涙と鼻水と汗と、3者が入り乱れた城見学だ。


   


 
何段目かで、自分の居場所がわからなくなる。
その度に歩き直しだ。
段々はなにせ特徴がなく、感覚を狂わされる。

小竹は素直にまっすぐに伸びていれば歩けなくもないが、
なにかの重みで小竹が横倒しになると、もうどうしようもない。
このような場所は、這いつくばって行軍する。
ほふく前進だ!

ド藪を行軍するたびに、無駄な体力、気力を消耗していく。

傘がなぜか落ちていた。
こんなド藪に誰か来たのであろうか?
俺のような人が居るのだろうか?







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 こんな場所であるから、大した写真も撮れない。
 激しい調査がお分かりになろうか?
 とうとう縄張り図面も破れてしまった。
 この時点で意気消沈。
 
 飽きた。。。。。。

 きょうは、帰ろう。。。。

                       


                                      (まだ つづく)
    
   



 第8回 とんでもないもの 2020/03/01
 
 

 調査も8日目となった。

 前回は中世城郭研究会の例会となったた。
 ほとんどの方が花園城を書き上げている方ばかりだったので、この日の踏査会は、彼らの花園城に対する疑問点の確認だった。
 あわせて、当方の今までの調査見解をトスする形となった。

 このため、管理人の縄張り図の進捗は無かった。


 第8回の今回は、そのリベンジである

 

 

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 今日は快晴。

 絶好の城日和である。
 しかし前回調査でやられた花粉症が、やっとよくなってきたのに悪化しそう。。。。。(不安)

 追跡戦闘車3号車(新たに登場)をいつもの善導寺に置き、登城口の諏訪神社に向かった。

      

 今日は3つの御題をもって調査する。

   第四郭周辺の確認 郭下の曲輪と、東西両サイドの堀切の確認。

 主郭~第四郭の北斜面の遺構確認

 主郭南面の段々曲輪の確認(できるところまで)

 

 である。


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第四郭の周辺調査


     





第四郭は最東の郭である。

当城最大の堀切を設けており、ここより以東に遺構は無い。
よって、当城の最外郭となる。。

















 


第四郭南斜面には大きく2つの曲輪(四ー①、四ー②郭)がある。

最頂部から四ー①郭へ向かうには、曲の輪真ん中の虎口を下る。

この虎口の特徴的なところは、なぜか、浅い竪堀が並走している所である。

これが何とも不思議。
浅い竪堀は何のためにあるのだろう?
防御のためなら、こんな無駄な竪堀を削除して、細い通路状の坂虎口にした方が良い。

しかし竪堀が必要だった。。。
     
・・・という事は、塹壕ではなかろうか!

第5回で書かせていただいた 【武者隠し】 である!
ココも浅い斜めの堀内に城内兵を配置し、
向かってくる敵を正面、背後から敵兵を迎撃する仕組みなのでは?と考えている。

ちょっと浅はか???
       


 


浅い堀のある虎口からは、東に向かって城路は下る。

すると、第四郭から派生する太い土塁にぶつけられ、南進、四-①郭に入る。。

ここは所謂大きな枡形門となっているのだ。


四ー①の曲輪の、西端には横矢状の飛び出しがある。

その周りの土塁、地面の凹凸から、ここも枡形門であることがわかる。

城路はさらに四ー②郭に向うのだが、登城路は崩れてしまっているようだ。





 四-①郭縁辺部には、石垣が結構立派に残っている。
 相変わらず荒削りの石垣だが、曲輪全体に巡っていたと考えられる。

           



6回、7回はデータ破損・紛失




 第5回 とんでもないことに。。。2020/02/07
 
 本当は、今日、娘の大学のコネで、神奈川県の河村新城の障子堀を見に行く予定だった。
 しかし、一緒に行くはずの娘の体調が悪化。
 あえなく予定変更。
 代替えは花園城となった。
 河村新城は残念ではあったが、これはこれで管理人としては満足。


さて、
いつものように追跡戦闘車(バイク)を善導寺に置き、
諏訪神社から花園城山頂を目指す。

















今日は主郭下山腹の広い郭から描き始めだ。
相変わらず、石垣で固めた虎口が美しい。
しかし、この城は石垣が多い。
図面では、明らかな石垣部分を●●で表現してみた。
(下図A地点)




ところが、ここでトラブルが発生!!

コンパスの様子がおかしい。
方位が・・・・というか、方位磁針が動かない

よく見ると、磁針のケースの中に気泡が入ってしまっている。
この気泡が壁になり、針が動かなくなってしまっているのだ。

そこで、iPhpne備え付けの電子コンパスを使ってみる。
しかし、重いし、すぐスリープにになるし、使い勝手悪すぎ。

調査不能の事態となった!!
  とんでもないことだ。




      思案に暮れたが、管理人は下山を決意。
      新たなコンパスの購入を決定。
      幸いなことに花園城は寄居の市街地に近い。
      コンパスを購入できる店は、どこかあるだろう。。。


下山して調べると、すぐ近くになんとワークマンがある!
工事関係の店であれば、方位磁石くらい置いてあるだろう。
しかし、あえなく撃沈。

そこでもう一足バイクを飛ばし、寄居のカインズホームへ。
流石にホームセンター!
ここには山用のコンパスがあった。
しかし、ちょっと安物感があるな、、、、、、と思いながら購入。

ソッコーで会計を済ませ、すぐさまパッケージを開けた。
そしたら、今度は買った品物が不良品!
同じく方位磁針が動かない!
とんでもないことだ!!

さっそくお店に文句を言って、別のものと交換。
事なきを得た。





 よく考えれば、店の前でパッケージを開けてみて良かった。
 城に登ってから気づいたのでは、今日の調査は中止になっていただろう。



 

 さて、再び花園城へやってきた。
 仕切り直しだ!












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  ◆花園城第5回縄張り調査図
              



先ほど登ったA虎口から調査を再開。
するとその直下に、早速大きな枡形門遺構  を発見。
石垣と連動する枡形門である。
花園城の石垣は、後世のもの?と疑われがちのところがあるが、
石垣上段に平坦地も無いし、
土塁と連動しているので間違いなく往時の物だ。

ちょっと理解できないのが、下の道跡
虎口との連動が気になるところではあるが、後世の道と判断した。






虎口B

石垣を南から。





























虎口B横の竪堀を下から見上げる。
























この他、当日の調査としては、Dエリアを徹底調査。

曲輪の方向が狂っていたり、表現がイマイチだったり、全てやり直しした。
写真は撮っていないが、ここにはたくさんの石垣遺構が残る。


これが、往時からの物か、それとも近代の物かが議論となっている。


  
 





 下に昭和の航空写真を並べてみた。
 Dエリア付近を見てみると、当地は1947年には畑で利用されていた事がわかる。
 1960年の写真では、はっきりと畑段が認められる。
 麓からの道の跡も確認できる。
 1985年くらいになると畑の使用は無くなったようだ。
 藪化が進んだのはこの頃なのだろう。

 鶏が先か卵が先か。。。
 畑が先か、遺構が先か。。。
 謎は深まるばかりだが、今のところ私は城の遺構であると考えている。

 ◆国土地理院 電子国土航空写真より
 1947年・・・ちょっとボケてるが畑のようだ
 1960年・・畑と道痕がはっきりわかる
  1974年・・・放置され始めたか?
 1985年・・・・森に戻っている


 まあ、とにかく疲れた。
 何しろ今日は無駄に山を二回も登っているのだから・・・・・・・

 でも、普段はあまり人がいない花園城で、今日はツイッターのお仲間のミノポンさんや、花園城の道の整備をされている方とお会いすることができた。 
 城内で何度かすれ違い、その度にお話ができて、とても楽しかった。
 とくに整備をされていた方の 『幻城』 の存在の話は面白い。
 今度、行ってみようと思う。

 さ、家帰って、風呂入って、焼酎飲もうっと!

                                         (つづく)



 第4回 とんでもないもの。。。 2020/01/18



調査4回目 現地 午前8時。

今日もいい天気である。
最高の城日和となった。
















    まず結論として、第4回目の調査結果は以下となった。
    この現状図をベースに解説をしていきたい。

    



 


まず、三の郭堀切である。
写真は、堀切から横堀に変化した部分である。













その堀から、三の郭下の書きかけの続きを始める。
前回紹介した枡形門の下にも大きな虎口がある。
切岸にぶつけ、枡形門形式となっている。








さらにその下。
今回は図面化していないが、内部が石垣で囲まれている曲輪がある。

ほぼ同じ形態の遺構が、杉山城にもある事を思い出した。


  






さらに遺構を西に追うと、二の郭下の竪堀に出る。
竪堀上方には、第3回で紹介した四角い石垣矢倉台だ。

◆写真左手が石垣矢倉台


 









この竪堀は、山腹途中で二分割される。
その写真が以下。
写真向かって左の竪堀は途中で消滅するが、
右の竪堀は山麓まで至っているようだ。










      

さて、ここから縄張り図描きセオリーに基づき、再び山の主峰に戻る。

四の郭を描き、その堀切を覗く。
たいへん大きな堀切で、当城最大のものと思われる。
岩盤を削って出来ているのは他と一緒。
しかし、どうやって削ったのだろうか???
鎌倉の切通しのようである。
とても人力とは思えない迫力である。

      





































 今日はワケアリで午前中で終了。
 でも、あー、ちかれた。
 成果を、石垣とポチット記念写真!

      



                                              (つづく)





 第3回 とんでもないもの。。。 2020/01/04

 
 花園城も3回目の訪城となった。
 追跡戦闘車2号を善導寺に置き、そのまま城跡へ

  



 今回は二の郭、三の郭の調査。

 途中からだとどうしても中腹の遺構を先に確認したくなるが、経験上深追いすると狂いが生じやすい。
 まずは、天端に揃う曲輪から描き、次に袖を付けていくのが縄張り図の鉄則なのである。
 そんなことを考えながら山を登ると、二の郭に到着だ。
 相変わらず遺構の残り方は抜群である。





二の郭堀切北部先端



















 



同上堀切を南から
















 

その二の郭から三の郭に渡る。
三の郭は新規調査になる。
この郭内部は、少し自然地形ぽい感があるものの、広さのある曲輪だ。

三の郭上部を描き終えて、山腹に回る。
すると、ここには土塁囲みの大きな枡形門がある。
これが、絵にかいたような枡形門で、南に下る傾斜地に設置されている所も憎い。
規模からいうと、所謂大手門と言って良いであろう。(ほかに見てないところもあるけど・・・)




◆ほんと見事な枡形門遺構。





  



 






下から望んだところ。












  

 

  この枡形門の土塁には石列が見える。
  掘ってみないとわからないが、この土塁は全面石垣なのだろう。(多分)
       
       



  
  

さて、この枡形門を描き、遺構の流れ的に、二の郭南斜面の縄張り描きに移った。

二の郭/三の郭との堀切は、大きな竪堀・横堀に変化する。
そのドンつきの二の郭南斜面側に、四角い石垣の矢倉台が備えられている。
堀を上がってくる兵士を確認したのだろうか?
この城の中でもピカイチの石垣遺構だ。
また、この台から西に続く曲輪も全て石垣でできていそうだ。





  ◆マウスを乗せよう・・四角い石垣範囲
    ◆マウスを乗せよう







矢倉台横には小さな石垣虎口がある。











矢倉台と虎口を別方向から撮影する。











 これ以上、山麓の曲輪を追っていると、縄張り図の狂いが出てきそうなので、別の機会に調査をまわそう。

 管理人は一旦、三の曲輪最頂部まで引き返し、三の曲輪の東堀切側に降りてみることにした。
 繰り返しになるが、縄張り図は上から描くのが基本なのである。




堀切に降りる場所には、先ほどの大枡形門の土塁と、
三の郭先端の土塁で、小さな枡形門が形成されている。

憎い造りだ。

堀へは明確な降り路が着いているので、
おそらく往時から堀底へ降りていたのだろう。











降りた堀底は広く、深く、南をみるとクランクしている。
(図には描けてませんが・・)
この先に何があるのか楽しみだ。

















今日の調査はここまで。
また次回に楽しみをとっておこう。
















                                            (第3回おわり)



 第2回 とんでもないもの・・・ 2019/12/28



  

追跡戦闘車1号で出陣。

車は藤田善導寺へ。
駐車はここがお勧め。
登り口の諏訪神社まで少し歩くが、トイレもあるし、全く問題ない。

 



  最初に本日の成果(左が一回目、右図が本日の成果)を紹介する。
  朝九時に登頂し、午後三時半まで。
  合計六時間半。
  ご覧のとおり、なかなか進まない。
      

     
  今日は主郭部を離れた場処の調査を行った。
  その中で、この城の特徴として感じたのが

  ①低い切岸は石垣を使用。
 ②切岸に通路のような細い段築が多い。
 ③かなり細かな曲輪配置。



 ①~③の理由は下の写真で紹介していくが、

 ①は、とにかくこの城には石垣が多い。
 あちこちに出てくる。
 石が土から顔を出している箇所も多い。
 表土をはがせば、相当な石垣が出てきそうである。
 管理人は現状図しか描けないが、低い切岸はほぼ全面石垣であると見た。。。

 加えて②は、切岸の要所要所に細い通路上の段築が多い。
 最初は文字通りの ”通路” と考え、有事の際の 『兵士の移動スペース』 と考えた。
 しかし、あまりに多いし、埋もれたとはいえ、この狭さは人がすれ違えない事に気がついた。
 よって、土塁が崩れないための補強であったと考えるほうが合理的と考えた。
 管理人は①も踏まえ、これらの段も全て石垣だと考えている。
 近隣の鉢形城の土塁補強の石垣の段築が、管理人の頭には浮かんだのである。
 これに付随して、本当に曲輪配置が細かくて悩まされる。③


   ________________________________________________________


 この城は、写真を撮ってもどこだかわからなくなってしまう場合が多い。
 今日は、それらをメモしていきたいと思う。




左は主郭西下の堀切。
この直角岩盤堀切は、いつ見ても気持ちが良い。









その南には大きな岩盤竪堀が走る
正面が土塁となり、ドンつきになっている。

この岩盤竪堀の両脇にも、細かな段築遺構が残る。









 



とにかく石垣が多い。
これは主郭西下の曲輪で露出する石垣。
通路か?
周りの緩傾斜に埋もれて、用途はいまいちはっきりしない。






主郭西下は、言い方が悪いかもしれないが、ただの段々の曲輪群だ。
主郭から離れてきたが、ここにもあちらこちらに石垣が見られる。
これは、通路として作られたと思われる石垣。
ここを登り、上の段に人を入れていたようだ。






主郭西下にも②で言う通路状の曲輪がある。
ぱっと見るとただの土の切岸が続くだけであるが、一部削られているところがあった。
おそらく獣の仕業であろうが、
 なんとその中に石垣が見えるではないか!
 しかも中心部からかなり離れた場所である
これが管理人の①の根拠となった。







あー、ちかれた。
細かな遺構に翻弄され、歩測が合わず行ったり来たり。
今日も牛歩調査だ。

岩盤竪堀の日当たりの良いところで一休み。
枯れ草ベッドは最高なのである。
あー、これが俺の癒しだ。





      でも、、、、、、、
   一体いつになったら終わるんだろー?


    ゴールの見えない不安。
 栃木のどこかの仕事と一緒。



                             (第2回おわり)



 第1回 また、とんでもないものに手を出してしまった・・・ 2019/11/06


 埼玉県に1年半前に引っ越してきたが、ここ埼玉ではめちゃくちゃ有名なのに、なぜかまだ一度も行ったことが無い城がある。
 それが花園城である。
 複雑な縄張り、広い城域であることは既存の図で知っていた。
 それが足かせとなっていたのだろう。
 でも、いつかはやらなきゃいけない課題だ。

 管理人は今期からの目標として、この城の制覇を掲げることにした。

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 花園城は後に後北条氏配下となる藤田氏の城である。
 城主・藤田康邦は、養子として北条氏邦を迎え城を譲った(というか実質乗ったられたのだろう・・・)
 自身は 用土に城を築き、そこに移ったとされる。
 北条氏邦はその後鉢形城を築くが、対岸にある花園城も戦略地として同時に整備したのではなかろうか。

  
 
花園城は秩父鉄道の線路沿いにある。
写真は諏訪神社前であるが、バイクもおけないくらい地面がふわふわである。
仕方がないので車道に置いたが、車の場合はちょっときつい。

線路向こうもご覧のとおり。
車を置くにはちょっと、、、という感じ。

          






ということで、一番安心な駐車場所は善導寺。
ちょっと歩く事にはなるが、広い駐車場で、一番安心。
藤田氏のゆかりの寺でもあるので、
お城見学で使わせていただくのは問題ないであろう。














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さて、諏訪神社から城跡に向かおう。

境内に入る。
入ると右手に花園城の看板がある。(写真↓)
ここが登り口だ。


         



 



大した案内はないが、ピンクテープに従えば迷わず登れる。










 登山道途中に、このような大きな堀に出くわす。
 花園城の特徴でもある、長い竪堀状の堀である。
   


 山の峯近くになったとき、突然下の写真のような景色が飛び込んできた。



               うおーっつ!


               



  



なんと、

壁が直角である。

















  


傍らには、こんな石垣もある。

小倉城の石垣と似ている。
緑泥片岩の横積みの石垣だ。






















主郭である。
花園城の碑がある。

碑は立派なものであるが、山自体の整備はまったく行われていない。
ただ、お城フリークとしては、このような状態の方が萌える。
民家や訪れた人の目を気にせず、城跡調査に望めるからだ。


















主郭から登ってきた反対側の斜面を覗くと、
くっきりと堀切が見える。





















 


ここの切岸も直角である。






















誰がこの岩盤を削ったのだろうか?




























どうみても、ものすごい土木量である。
この堀切を作るには岩を削ることになるのだ。

いくら割れやすい岩だと言ったって、
土を掘るのとはわけが違う。





















主郭には大きな土塁を伴った虎口がある。





















主郭周りには石垣が巡っていたようだ。
部分部分に残っている。
ここは縦に石が積まれている珍しい場所。
























主郭南の虎口土塁の石垣。
ここは緑泥片岩を横積みしており、周辺の城と積み方が酷似する。
















結局なかなか主郭の形が取れず、今日は主郭周りのみ。
続きが楽しみだ。










                                (第1回おわり)






















まぼろし城?(俗称)   電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください

 かんが言うにはな、そこは城では無いというてんねん。』 『ん、ほな城とちゃうかぁ~byミルクボーイ 2020/04/04   

  花園城で出会った地元の方がおっしゃるには、城の東方1kmに、なにやら城郭遺構があるという。
 
 彼が文化財担当者に相談したところ、”神社の跡だ!”  と言われたそうだ。
 しかし、彼は納得していないご様子。
 そんな思いもあり、彼は当所を ”まぼろし城” と呼んでいる。(今回はこの俗称を使用させていただいた)

         ◆国土地理院電子国土より

 それを聞いて第7回の時、管理人は、中城研の仲間と当地を訪れていた。
 みんなでパッと見で 「城とするにはちょっと・・・」 という結論を出している。

 
しかし、この時は縄張りの精査をしたわけでもないので、ちゃんと図化をして再評価したいと考えた。


早速、花園城第四郭から、まぼろし城に向かう。

花園城から当地に向かう途中は、結構草刈がされ、手入れされている場所がある。
まぼろし城を教えていただいた方には 「今後、花園城整備の話もある」 ような事も伺っていた。
その前哨戦であろうか?







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  さて、まぼろし城に近づくと段々が見えてくる。
  とりあえず最頂部まで登り、そこから調査を始めた。


 
  ◆主郭内部





しばらく踏査すると、
主郭から同心円状に段々曲輪が広がっている事が分かってくる。
同心円の段の切岸は、幅の広いものではないが、非常にしっかりしている。
この辺の様子は、花園城の西側斜面とそっくりである。


     






石垣も回っている。

だが、石垣は全周にあるわけではなく、

花園城方向の緩い尾根筋に顕著である









ちょっとボケてしまったが、このように段々石垣が登る。

















 ここまでで、踏査の結果をまとめてみた。

 【調査結果】

 
①=畑の可能性
  畑にしては、日の当たらない北側まで平坦地が回っている。
  これは畑としては奇異だ。
  しかもこの段々は不便な山のピーク付近だけにある。 
  農作業をするために、わざわざここまで登るというのか?

 ②=神社の可能性
  必要以上にある輪郭。
  神社であれば意味が不明。

 ③=城の可能性
  石垣が緩い尾根方向のみ顕著。
  守る方向があるようである。
  東面を除き、全方位明確な切岸が存在する。

 ④=古墳の可能性
  ここまで細かい何段もある段築が、古墳としてあるだろうか?
  事例では2,3段のような・・・
  管理人は知識を持ち合わせてない。

そんな疑問を役場にぶつけてみると、以下の回答が返ってきた。


渡邉 様

お世話になっております。
寄居町役場農林課の●●と申します。

お問い合わせいただいた花園城跡地山腹にある段々ですが
ご推察のとおり以前みかんの栽培をしていたようです。

個人農家さんが栽培していたもので町で把握はしておらず
上記の内容も付近の農業に詳しい方にお話を伺いました。

ご確認よろしくお願いいたします。

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
 寄居町 農林課 
 〒369-1292 寄居町大字寄居1180-1

 

 やはり、この段々は花園城/花園御岳城、そして、まぼろし城含め、 『畑』 の可能性が高そうだ。

                   
段々は城の遺構ではない。

 よって、”まぼろし城” は城では無い、という結果になる。

 花園御岳城の項でもお話したい!

 


            ◆電子国土より・・・花園城3点トライアングル
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                                              (おわり)