佐野市2025
佐野市 2025
◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
深堀城sk | |
●●城 電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください
けた場所 | |
アプローチであるが、 地形図を見ると、 目的の堀切場所まで県道210号が通っている 「ラッキー!」 車で登るだけ登って、楽しよう! |
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【考察】 | |
深堀城(仮称)
電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください
山あいの謎の城跡 2024/12/19 | |
![]() 2018年の初頭、 私が栃木から埼玉に転勤が決まった時のことだった。 当ホームページのお客様(おそらくフェニェクーティさんかと)から、 鹿沼市北村城の情報と共に 「城では?」 と、 頂いた物件だと記憶している。 転勤は4月なので、色々その準備のため、 この城の現地調査は難しくなった。 そこで、 宇都宮在住の一粒庵さんに調査をお願いしたのである。 その時、調査していただいた図面が左である。(2018/06/04) 本情報が間違いなく城と認知されたのである。 |
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![]() ![]() ◆栃木県CS立体図 および地理院地図 |
さて、2023年、私は埼玉から栃木に帰任した。 改めてここにCS立体図で陰影を確認できた。 しかし、2018年段階では、 まだ栃木にCS図も公開されていない時代。 よく、この様な場所を発見できたなぁ・・ と、感心。 |
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結局、私もこの城をいつか訪ねてみることにした。 理由は、新たに太田沢城を見つけた事にある。 太田沢と深堀は直線距離で4.5km。 両城とも秋山川沿いの城である また、太田沢は、竪堀が異常に発達した城で、 当流域で大きな戦争があったことを予測させるものであった。 この深堀城も、堀切3本と言いながらも、 その前面に大勢の人員を収容できる平坦地がある。 太田沢と深堀にはなにか因果関連があるのでは? と思ったのである。 |
【縄張り図】![]() |
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さて、調査当日。 もともとこの日は、日光市山奥の城を見に行くつもりであった。 しかし日光は既に雪。 そこで、当地を訪城。 だが、ご覧の通り、ここ佐野市もちょっとチラついた様ですな。 |
![]() ![]() ◆図はYAMAP |
![]() 車はココに停める。 左写真、管理人の後方の階段から 山に取り付くことにした。 |
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![]() 落ち葉がいっぱい。 ちょっとすべるが、登りやすい。 ◆左図はYAMAP |
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![]() 広い平場に出た。 この平場が今回の肝である。 この先の堀切の前面に広がっている。 ◆左図はYAMAP |
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![]() もちろん、自然地形なのであるが。。。 ◆左図はYAMAP |
![]() とにかく尾根上は広い平場で、自然地形なのは間違いない。 ただ、ココを城として、どうも取り込んでいそうだ。 目的としては、大量兵士の駐屯場所みたいだ。 |
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![]() ![]() 平場が、キュッと狭まったところに 堀切1がある。 かなり埋もれているが、 シッカリしたものだ。 ◆左図はYAMAP |
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![]() ![]() 自然地形のピークがあり、 そこから少し下ると、 堀切2である。 これも、尾根が狭まったところにある。 ◆左図はYAMAP |
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![]() ![]() 堀切3がある。 写真は3の堀下から。 遺構は、ほぼこれで完了だと思うが、 堀切3の上方にも 堀切様の痕跡があるが、 遺構かどうか判断に迷うものだった。 ◆左図はYAMAP |
以上が城の遺構であるが、 堀切3本と、その前面の広い平場の城である。 目的としては、兵士の駐屯地と想定したわけであるが、 ココより南の太田沢城は、東面にものすごい竪堀があって、この秋山川沿いになにか大きな戦闘があったことを思わせた。 この深堀城は、太田沢の北方にあたる。 もし、両城が同時期に存在していたとするならば、太田沢が戦闘に対しての監視の城。 深堀はその戦闘に対しての兵士を蓄え、戦闘に臨む城のように見えてしまう。 謎は深まるばかりだが、なんとなく両城に関係性があるような気がしてならない。 また、佐野市の調査で「木浦原城」という、場所不明の城が秋山町にある。 市の記載によると、 木浦原城 (黄平原城) 永禄年間(1558~69)頃、 遠藤駿河守が築城し天正年間(1573~91)頃まで存続したと伝わる。 木浦原という地名は、深堀城より北、約1.5km程の地であるが、 当城がその木浦原城である可能性もあるのでは?とも考えたが、 やはり、地名とは距離があるので、違うかもしれない。 いずれにしろ謎である。 2024年12月27日。 わたしは、もうひとつ訪ねたい山ができた。 果たしてどうなるか・・・・・・こうご期待。 |